面白いギャグ、つまらないギャグとは?
ギャグマンガ・ギャグアニメ。
管理人ももちろんモノによっては
ストーリーものと同じくらい好きで、
ストーリーよりも笑いを求めているので
『ドラえもん』『斉木楠雄のψ難』
『吸血鬼すぐ死ぬ』『僕とロボコ』のような
1話完結形式でも飽きずに楽しむことができるね。
日常系や1話完結はそれら単体では苦手でも。
ただ、ギャグには様々な手法があるので、
何が笑えるかは人それぞれ。
特に作者や時代の倫理観が反映されやすいジャンルであるせいか、
個人的に昭和~平成初期のギャグ作品で好きなものは稀で、多くは
「こんなのがギャグ扱い?」「倫理観がなさすぎる」
「このキャラが可哀想」と思い、笑えなくなってしまう。
これについての関連記事としては、
「平成生まれが昭和のアニメや特撮を見ていて気になること」を。
個人的に無難に面白く、
比較的世代を選ばなそうなのは、
『ドラえもん』の「ひみつ道具で巻き起こる騒動」
『斉木楠雄のψ難』の「サイキッカーの主人公が中心の騒動」
『吸血鬼すぐ死ぬ』の「個性豊かな吸血鬼達の言動」と言った、
キャラクターのやり取りや行動で笑わせるものだと思う。
キャラクターに程よく自由にやらせつつ、
決して個人のダイバーシティを否定することなく、
キャラクター達の心の根っこ自体は善良なものとする。
その結果、俗に言う優しい世界が出来上がり、
纏まりの良いエピソードになる。
当然、何かしら悪さをした人物に対する
しっぺ返しも欠かさなければ、
後味が良い=面白いギャグにはならない。
『タイムボカンシリーズ』も
キャラの行動や現象で笑わせるのが基本だし、
ドロンジョがボヤッキー達をバケモノ呼ばわりしていても、
彼らが悪役だったり成敗されたりお仕置きされると言う
フォローがしっかりしているお陰で不快にならない。
『僕とロボコ』は、昭和の時代だったら
ロボコの外見がボロクソに言われそう😅
しかし、令和の作品であるロボコは決してそのようなことはしない。
令和のギャグは良くも悪くも毒がないけど、どれも優しい。
やっぱり管理人にはその方が合っている。
だからか、『吸血鬼すぐ死ぬ』で
ドラルクがツッコまれて灰になるお約束にさえ
心を痛める人がいるようだけど、
同じ立場にあるジョンと言うフォローがあるのに
流石に気にしすぎだとは思うのは、
昭和の時代を生きた人々がその時代の創作物の表現を
後年の人に突っ込まれた時と同じなのかな。
逆に、つまらないギャグの最たるものは、
上記とは真逆の個人のダイバーシティを否定するもの全般。
主人公のネコらしくなさを否定しまくる『オヨネコぶーにゃん』
女らしくないヒロインを散々貶す『キャッ党忍伝てやんでえ』
と言ったものは作品自体がダメだった。
昔のマリオの漫画のウェンディのブスキャラ扱い、
『うる星やつら』で竜之介の父が
娘に男っぽさを押しつけるネタも嫌い。
何なら、『ドラえもん』の「のび太のくせに」と言うセリフや、
ドラえもんを何度もたぬき呼ばわりするのも良くないと思う。
管理人自身元いじめられっ子かつ、
本来の自分とは真逆の振る舞いを求められて辟易したことがあるから、
「本人のコンプレックスに何度も触れる」とか、
「女らしい女とそうでない子の扱いの差」には
特に敏感に反応してしまう。
よって、管理人は悪役キャラクターの悪事には寛容でも、
ギャグの面白さの基準にはかなり厳しい方だと思う。
一見バカげているけど
誰かのために頑張っていることに変わりないキャラ、
大して悪さをしている訳でもないのに
酷い目に遭いまくるキャラを笑いものにするギャグも、
そのキャラが可哀想にしかならない。
前者の場合は『タイムボカン』の第21話は素晴らしかった。
風車に特攻するドン・キホーテを皆が笑いものにする中、
淳子だけはドン・キホーテの誠意に焦点を当てた。
それがなかったら考えさせれる場面ではなく、
単なるつまらない場面になっていたね。
やっぱり、何でもかんでもギャグにして良い訳じゃあなく、
人としての道や相応の扱いと言うものを大切にすべきだと思う。
皆さんはどんなギャグ作品が面白いと思うかな?